和寒町の地質

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 和寒町福原の蛇紋岩です.士別市温根別の蛇紋岩の延長部であり,幌加内オフィオライトの下部にあたり、もとはマントルであったものと考えられます.ここではカンラン石の残存する蛇紋岩や,異剥石斑れい岩(斑れい岩ペグマタイト)が観察されます.
 和寒町東和の「東和コンプレックス」です.イドンナップ帯に属する地質体で,中生代白亜紀前期の海溝付加体のメランジと考えられています.海山起源と思われる,発泡した玄武岩と,深海底の枕状溶岩やチャートなどがごちゃ混ぜになった露頭です.おまけに大陸からの砕屑物らしきものまであります.
 このように,本来は混在するはずのない,全く異なった環境のものが同時に見られることが,海溝部でミックスされたものであるという根拠にもなっています.
 東和コンプレックスのチャートを調査中の平松和彦先生(現福山市立大学;当時旭川西高校)です.私が士別高校に転勤してきたときに、すぐに平松先生が士別周辺の地質を案内してくださったため,すぐにこのあたりの主要な露頭の位置を知ることができたのです.偉そうにこんなサイトを運営しているのも、平松先生のおかげなんです。
 この日は灰色のチャートをサンプリングしたのですが,石灰岩とよく似た感じだったので,後日塩酸で調べましたが,やはりチャートでした.未だにこの露頭で石灰岩は発見できず・・・.あるって話なんだがなぁ.
 東和コンプレックスのチャートです.黒色頁岩中に挟まれています.これは深海4000m以上の海底で放散虫などが堆積してできた岩石です.薄片でも放散中が多数含まれているのが確認できました。
 発泡した玄武岩です.溶岩中のガスが抜けたためにできた多数の穴があります。溶岩が深海で噴出した場合はその水圧で発泡することはありませんが、これだけ多くの穴があいているということは、この玄武岩は元々海洋島(ハワイのような)の溶岩であったものと考えられます.海洋プレート上にできた海底火山が,プレートとともに移動し,海溝に付加したものでしょう.
 安山岩の採石場です.新生代新第三紀中新世の,1300万年前〜800万年前ぐらいの火山活動によるもので,当時このあたりは海岸沿いの火山地帯でした.
 和寒町北原の,北原小学校横の駐車場です.この場所はかつてボーリング調査が行われ,第四紀の連続した地層から,詳細な花粉分析が行われました.その結果,当地域の古気候が復元され,ヨーロッパやカナダなどで知られていた11000年ほど前の,一時的な「寒の戻り」である「ヤンガードリアス期」がこの地域にもあったことがわかりました.これは,「剣淵亜氷期」と名付けられました.

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